憩いの家の歴史

憩いの家のはじまり

かつて児童養護施設の子どもたちは、公立高校に進学できないと、中学を卒業して施設を出なければならず、孤独な自立を強いられていました。こういった子どもたちを受けとめようと、財部実美氏を中心とした人々が、1965年活動を始めました。

そして、1967年に「三宿憩いの家」が開設されました。その頃の活動はすべてボランティアの方々の協力に支えられていました。開設当時のスタッフは、昼間は外で自分の仕事をし、夜は「憩いの家」に帰るという体制で運営していたのです。

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これまでの歩み

「三宿憩いの家」に続き、1974年に「経堂憩いの家」、1982年に「祖師谷憩いの家」が開設されました。近年は思春期の子どもたちを受け入れて一緒に暮らす施設が少ないことから、児童養護施設を出た子どもたちだけでなく、児童相談所や家庭裁判所、女性相談所など、さまざまな経緯による入居者が増えています。

これまで、憩いの家は3軒のホームで640名以上の子どもたちを受け入れてきました。退居して自立した子どもの100名ほどとは、近況報告や悩み事の相談といったコミュニケーションが続いています。電話連絡や来訪のほか、必要に応じて職員が訪問しています。

時代とともに、子どもたちを取り巻く環境や、突きつけられる現実の姿は変わりますが、「行き場のない子どもたちに居場所を!」という「憩いの家」発足時のポリシーは、今後も変わることはありません。

「憩いの家」は子どもの生活の場所です。だからおとなにとっても「職場」ではなく、「暮らしの場」でありたいと考えています。仕事から帰ってきてくつろいでいる時、何気ない会話の時、みんなで食卓を囲む時、どれも共に暮らしているからこそ生まれる、子どもたちとのとても大切な時間です。

*財部実美(たからべ さねよし)

1928年-2001年。海軍兵学校出身。戦後、社会事業家の賀川豊彦氏との出会いによって、社会福祉の道を志す。赤貧に苦しむ人たちが多く暮らす地域に住み、いくつもの福祉活動に従事した後、「憩いの家」の設立に向けて奔走。開設後は初代理事長に就任。

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憩いの家の活動と制度の動き(PDFファイルが開きます。)

 

青少年自立援助ホーム「憩いの家」を運営して

太平洋戦争の敗戦直後の日本には、13万人(1947年)にのぼる戦争孤児がいたというデータがあります。そうした子どもたちは児童福祉法上の「養護施設」で養育されましたが、公立高等学校に進学できない児童は中学校を卒業すると退居させられることになります。

私は東京オリンピックが開催(1964年)された頃、江東区深川の日雇い労働者などが多く住む地域にあった「セツルメントハウス」でボランティア活動をしていました。セツルメントハウスとは、貧しい人が多く住む地域で住民と親しく触れ合いながら生活の向上を目指す拠点、あるいは宿泊所のことです。

当時は、敗戦後の混乱のなかで生まれ、孤児となった多くの子どもたちが義務教育を終え、施設から出されて孤独な自立を強いられていました。私は子どもたちの救済活動の先輩である財部実美氏の提唱に賛同し、多くの方々のご支援やご協力を得て、中学卒業と同時に施設から出された子どもたちを18歳まで支援する青少年自立援助ホーム「三宿憩いの家」の立ち上げに参加しました。

1967年に開設した「三宿憩いの家」は、青少年の支援に腰を据えて取り組まれた故・広岡知彦氏をはじめとする当初スタッフのご尽力と、それを受け継ぐ現スタッフの努力によって、援助の充実を進めています。広岡氏の憩いの家での30年にわたる闘いは書籍『静かなたたかい』(朝日新聞社)にくわしく紹介されています。また、1980年代の憩いの家の活動はノンフィクション作家・小林道雄著『翔べ!はぐれ鳥』(講談社文庫)でも紹介されています。

 

15歳で養護施設を退居した孤児への支援を目的としてスタートした憩い家の活動は、その後、社会環境の変化とともに「虐待や養育放棄によって親と暮らせなくなった子供たちへの援助」という役割を同時に担うようになりました。

現在、養護施設や児童相談所、家庭裁判所、女性相談センターほか、弁護士、保護観察所などを通じて、さまざまな事情を抱えた子どもたちが入居してきます。

憩いの家には教育方針などという堅苦しいものはありませんが、子どもたちと寝食を共にし、うそのない大人の姿を示しながら、正面から向き合うことによって、人生の価値を伝えていきたいと考えています。(社会福祉法人 青少年と共に歩む会  理事長 前田健一)

 

広岡知彦氏の児童問題への幅広い対応
憩いの家の活動がわかる書籍&DVD

 

憩いの家の活動は、児童福祉の分野で栄誉ある3つの賞を受賞しています

(1)東京弁護士会第4回人権賞受賞(1990年)

受賞理由:児童福祉法の恩恵に服さない子どもたちと日常生活を共にして、その更生を図る運動を23年間地道に続け、子ども達の人権思想の普及、特に非行少年の人権拡大に寄与した功績。

(2)第24回吉川英治文化賞受賞(1990年)

受賞理由:非行・犯罪を犯す少年少女が増加傾向の社会状況の中、養護施設出身児童のみならず家庭崩壊、少年院・教護院等の出身青少年を受け入れ、寝食を共にした家庭的な生活を通して設立以来23年今日まで250人を超す子ども達を社会的自立させた功績。

(3)東京都功労者表彰受賞(2005年)

受賞理由:東京都は幅広く「都民の生活と文化の向上」に留意しているが、歩む会が「児童福祉」の分野で児童青少年の自立支援の先駆者として大きな実績を残した功労。

くわえて、憩いの家への支援を続けてこられた株式会社髙島屋日本橋店さまは、社会に貢献した企業として2012年に
「第61回東京都社会福祉大会東京都社会福祉協議会々長表彰」を受賞されました。

受賞理由:昭和51年以来36回になる、「憩いの家」の毎年年末のバザーのために同店8階催事場を会場として無料提供の他、備品の調達・館内放送を始めとした広報の協力を行い1回6~8日の会期を通しての多額の売り上げ実績へ貢献した功績。